『江頭2:50の「エィガ批評宣言」』



江頭2:50のエィガ批評宣言
江頭2:50,扶桑社,2007







おもしろいと、薦められて本屋で斜め読み。
冒頭の「チャコットを着た悪魔」など、
本家映画批評より、ギャグに爆笑してしまう。


日本のTVで求められているのは「ハプニング芸」だ。
俺にとってコメディ映画がむずがゆいのは、「作られた笑い」だから。


それでも、
マルクス兄弟、キートン、コーエン兄弟。
愛好するらしい。いっしょだ(まっ、王道だけど)

マヌケ、ドジな主人公が翻弄されるというコメディより、
より悪意のあり、行動するツッコミ的なコメディが好きらしい*。

それって、日本のTVのお笑いのスタンスが現れた発言だ。

日本のお笑いのアート系ラーメンズの小林賢太郎が、
「下品なもの、悪意、攻撃性は避けて、
ハプニングや異常な状況でない、変な人たちの"日常"をコントにしている。」
と、言っていたけど、

江頭2:50って、
そのまさに「下品で、悪意があって、攻撃的で、ハプニングや異常な状況」を作り出す存在**。
1クールのレギュラーよりも1回の伝説なんて、まさにそうではないか。


話はお笑いへとシフトしちゃいましたが、
この本は映画にまつわる自分の思い出話が盛りだくさんで、
批評本とまではいかないけど。
江頭って、いう芸人の存在自体が特異すぎて、
そっちに興味が湧いてしまう。

日本映画界初の北朝鮮映画批評とか、まさに。
北朝鮮にお笑い修行に行って、マスゲームに参加したらしい。
そっちの話のほうが絶対おもしろい。


* それって、ダウンタウンの松本も言っていた気がする。
  「ボケ」が主体過ぎて、突っ込みが不在だから、
  いちいち突っ込みながら観なきゃいけないから、疲れる。って。
  ちなみに、友人に「モンティ・パイソン」を貸したときにも、
  大いなるボケの連続で疲れる、とのこと。

** 日本のお笑いの世界がこういうサド的集団ばっかり。
   一方で、ちゃんと受け止めるマゾ的役割もいて、
   それがふかわりょうとか、出川とか「リアクション芸人」とか、
   「いじられキャラ」とか言われる人なのかも。
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by thora | 2008-02-02 11:42 |
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