ファッション本

「ファッションの文化社会学」

ファッションの文化社会学
ジョアン・フィンケルシュタイン、せりか書房





映画好きが、ファッション?という感じですが、
「みること」ということに関して、両者は切り離すことができません。

まず、両者ともメッセージを放ってる。
言語手段を用いずに、視覚で雄弁にものを語る。

現代社会においては、洋服もコミュニケーションの一部であり、
私たちは意識しようがしまいが、洋服を通し何らかの意思を表明してしまっている。

たとえば、洋服に構っている、また洋服に構ってない、
のも意思表示の一つ。

流行の服を着るか、
流行とは関係なく自分の好きな服を着るか、
それよってさえ人を図ることができる。

逆に、これを逆手にとって、
わたしたちは洋服をまとうことによって、
「こうなりたい、こう思われたい」というのさえ表現することができる。


このように
わたしたちがファッションに自覚的になり始めたのは、
写真や映画などの視覚的表現が発達してからだそう。

カメラ的な目を内在化させてしまい、
細かな着こなしを注目するようになってしまった。


わたしが最も、興味深く感じてる両者の共通点は、


ファッション雑誌や映画が読者や観客を異性愛者として想定している以上、
この二つをとおして提供する・・・・その結果女性たちは「同性愛者」として他の女性を見るように仕向けられるのである



女優やエロシーンを同性が一人もいない状況で(いつだよ)、
話す時に生じる違和感はこれだよ!、と納得した次第

私は思ったよりは、
そういう目線で映画は観れていないようです。
そんなに、女性を熱く語れない。鈍・自覚的。
アララ




ファッションの仕組みのいいところは、
「対象と、それへの欲望は、
自分がなにが欲しいかを知らない苦しみから逃れるためにのみ、
存在している」。
女の人が買い物でストレス発散させるのは
こんな理由があったりするのだ。
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by thora | 2008-02-03 16:55 |
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