語るに足る、ささやかな人生-アメリカの小さな町で

語るに足る、ささやかな人生 ~アメリカの小さな町で
駒沢 敏器 / NHK出版









まだ、途中までしか読んでないけど。


そこの住んでいる人以外は誰も知らないような、ごく小さなアメリカのスモールタウン。人口は、多くても1万人に満たない。スモールタウンの多くは、“発展から取り残されたために町や建物は古く寂れ、時間は50年代から止まったままのようであり、アメリカの本流からは遠く離れてしまった。もはや誰にも見向きもされないところ”であるという。

けれど、こうしたスモールタウンこそが多くの物語や音楽を提供してきた。この本はそうした小さな町を舞台にした、実在の人物達が主人公の話でもある。そうしたスモールタウンだけに立ち寄って車で全米を横断した記録がこの本。村上春樹の“アメリカ”的な部分と、沢木耕太郎の「旅」の部分をドッキングしたような感じか。






スモールタウンに入ったら、まずその町の拠点となるところを見つける。それはモーテルかもしれないし、小さなホテルや古い骨董品店、ガソリンスタンドにたむろしている若者であることもあるという。そこを一つ拠点に定めて見知らぬ町の地図を自分なりに描いていくのがポイントだという。

あるスモールタウンで作者は「なにか懐かしくて大切なものに触れたときの安堵感の味」のするダイナー(簡易食堂)を発見する。“基本中の基本がなにを食べても揺らぐことのない知に足のついた普遍的なもの”だという。

「君が必要としてるのは私だろう」、
ダイナーの中年の主人が作者にそう話しかけてくる。
「理由はわからないが、君はこのちいさな町を訪れた。そしてこの店が目に入った。店に入った君は、ずっと様子を観察していた。」

といって、経営学を学んで一度はケータリング社の顧問として働いていたこともあるという主人は、自分がこの田舎町のダイナーを継いだ理由を主人公に語りだす。

アメリカの最もアメリカらしいところって、ずばり他者を受け入れる器量でかさとそのホスピタビリティにあると思う。「スモールタウン=善人の集まり」ではなくて、善人であることは他者の存在を受け止めて理解するという、利己心を超えた許容量の上に成り立っている、という。上に上げたダイナーの主人を始め、本著に出てくる“スモールタウンの中心”を経営者たちはみんなこうしたスモールタウンの良さに魅了された人々ばかりである。

しかし、こうした良さを称える一方で、作者はアメリカの「不気味さ」を見逃していないことも興味深い。

アメリカの土地は基本的に不気味だ。何らかの「オブセッション」が取り付いてるようにおもわれる。風景のおくにひそむ悪のエネルギー、恨みとか呪いとか、アメリカの国土や大地には昔から時間をかけてしみこんできた気がする。暴力とか死が突然のように、最も極端なあり方をもって現実の中に産み落とされるのがアメリカなのだ。


去年多数あった田舎町で起こった銃乱射事件は、こうしたものを背景しているような気がする。「ノー・カントリー」の殺人鬼の不気味さもこれの通じる。


アメリカは一つの大国じゃなくて、こうしたスモールタウンが一つ一つ束になってできあがっている国であることを再認識させられる。こうしたスモールタウンに根付いた映画は昨今、たくさん作れていて、私の大好きな「ゴーストワールド」を始め、「ウェイトレス」、「バーバー」を始めとするコーエン兄弟の映画、ピクサー・アニメ「カーズ」あげだしたらキリがない。アメリカのヒットチャート賑わしているインディ・バンド達だって、スモールタウン出身である。決して、ニューヨークとL.Aだけがアメリカ文化の発信地なわけではないのだ。


スモールタウンの“ちょっといい話”にややセンチメンタリズムを感じつつも、アメリカ人の素朴だけど力強いという魅力に取り込まれる作品になっている。真の意味でアメリカを知るには、一個の都市を訪れただけはダメで、こうしてアメリカを鉄道なり、車なりで町から町へと横断ねばならないと思う。アメリカ、今すぐ行きたくなる。
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by thora | 2008-04-27 15:52 |
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